When you start a company, it's more an art than a science because it's totally unknown.
(会社を始めることは、サイエンスというより、アートに近い。すべてが未知だからだ)
― Brian Chesky(Airbnb 共同創業者)
「ソフトウェアは美しくなければならない」。アイバン・ザオのその信念は、一度は死にかけたNotionを、1億人が使うツールに変えた。
創業者アイバン・ザオ、妥協を知らない完璧主義者

アイバン・ザオは中国・新疆ウイグル自治区のウルムチで育った。幼少期から数学の国際オリンピック(情報オリンピック)に出場し、コーディングを独学で身につける一方、伝統的な中国水彩画を学び美的感覚を磨いた。
高校進学を前に、より良い教育環境を求めた母の決断でカナダのバンクーバーへ移住。
英語はスポンジボブを見て覚えたというザオは、ブリティッシュコロンビア大学(University of British Columbia)で認知科学と芸術を専攻した。
コンピュータサイエンスはすでに分かっていると感じていたからこそ、「人間がどう考え、どう道具を使うか」という問いに関心が向いたのだ。
卒業後、デジタル教科書スタートアップのInkling(インクリング)でプロダクトデザイナーとして働いた時期が、ザオの思想を決定づける転機となった。
そこで読んだのが、1962年にダグラス・エンゲルバートが著した論文「人間の知性を拡張する(Augmenting Human Intellect)」だ。
「これだ、と思った。自分のスキルセットを最も生かせるのは、コンピュータを単なるタイプライターを超えた道具として人々に使わせることだ」。この確信が、2013年のNotion創業へとつながる。
彼のヒーローはアラン・ケイ、パーソナルコンピュータの父と呼ばれる研究者だ。ケイが1970年代に構想した「Dynabook」は、誰もがプログラミングなしにコンピュータを自在に使いこなせる未来を描くものであった。
ザオはこのビジョンに取り憑かれた。
ザオの発想の根底にあったのは、ソフトウェアは本来レゴブロックのように自由に組み立てられるべきだ、という考えだった。なぜ何十もの異なるツールを使い分けなければならないのか。その問いが、Notionというプロダクトの出発点になった。
そこで2013年、ザオはNotionを共同創業する。しかし、最初のプロダクトは失敗した。技術的に複雑すぎるが故に、ユーザーに真の価値を伝えられなかったのだ。ザオは完璧主義者だった。中途半端なものを出すくらいなら、出さないほうがいい。

この信念が、Notionを何度も危機に追い込むことになる。
ザオの完璧主義は、プロダクトのあらゆるディテールに表れている。Notionのアイコン、タイポグラフィ、アニメーション、すべてが入念にデザインされている。彼は「ソフトウェアは美しくなければならない」と信じていた。
この美意識こそが、後にNotionが他のプロダクティビティツールと一線を画す要因となる。
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サンフランシスコから、京都へ。破産からの再生
2015年、Notionはほぼ死にかけていた。サンフランシスコでの運営コストは高く、チームは最小限まで縮小された。資金は底をつきかけ、ザオは全社員を解雇せざるを得なかった。
残ったのは、ザオと共同創業者のサイモン・ラスト(Simon Last)の二人だけだった。
ラストはメリーランド大学(University of Maryland)でコンピュータサイエンスを学んだ後、宇宙望遠鏡科学研究所などで経験を積んだエンジニアで、ザオが「見たことのないポートフォリオだった」と語るほどの技術力の持ち主だった。
ここでザオは、驚くべき決断をする。サンフランシスコを離れ、京都に移住してプロダクトをゼロから作り直すことにしたのだ。
Love circles in life.
— Ivan Zhao (@ivanhzhao) February 6, 2025
We had a near death experience with @NotionHQ in the early years and restarted the company in Kyoto, deeply inspired by the city’s art and craft. Today Kyoto University of the Arts becomes the first school in Japan that runs on Notion. Circles and circles. https://t.co/PWktBPSJys pic.twitter.com/fnaVD7qEDP
京都の小さな2階建ての借家で、ザオとラストは約1年をかけてNotionを完全に作り直した。生活コストはサンフランシスコの半分以下。着替えも料理もほぼせず、1日18時間コードを書き続けた。
資金が尽きかけたとき、ザオの母が15万ドル(約2,325万円)を貸し付けてくれた。「あの時期、会社は私とサイモンの二人だけで、お金もほとんどなかった。ありがとう、お母さん」とザオは後に記している。
この時期は「Notion 1.0を捨てて2.0を作る」フェーズだった。サンフランシスコのスタートアップ文化特有のスピード至上主義から離れ、じっくりとプロダクトに向き合う時間を、京都で得たのだ。
そしてついに2016年3月、京都で作り直されたNotion 2.0がリリースされた。今度は、ユーザーに受け入れられた。
Product Hunt(製品発見サービス)でその月の1位を獲得し、テック業界のアーリーアダプターたちが飛びついた。京都での「死と再生」が、Notionの転機となったのだ。
目指したのはLegoブロックのようなプラットフォーム
Notionのプロダクト哲学を一言で表すなら「Legoブロック」だ。ザオは繰り返しこのメタファーを使う。
従来のプロダクティビティツールは、機能ごとに分断されていた。ドキュメントを書くならGoogle Docs、タスク管理ならAsana、Wikiを作るならConfluence、データベースを管理するならAirtable。
それぞれが独立したアプリケーションであり、データの連携は限定的だった。
Notionは、これらすべてを「ブロック」という統一された構成要素で実現した。テキストブロック、見出しブロック、画像ブロック、テーブルブロック、カンバンボード、すべてが同じページ上に共存できる。
しかも、それぞれのブロックは自由にドラッグ&ドロップで配置を変えられる。
Notionが掲げるのは、単なる「ツール」ではなく「プラットフォーム」であるという思想だ。ユーザーは自分のワークフローに合わせて、プログラミングの知識なしに、自分専用のシステムを自由に組み立てられる。
この設計思想は、アラン・ケイの「Dynabook」構想に直接つながっている。誰もがプログラマーのように自由にツールを組み立てられる。Notionは、その夢を2020年代のウェブアプリケーションとして実現したのだ。
一方で、この自由度の高さは諸刃の剣でもあった。「何でもできる」は「何をすればいいかわからない」にもなり得る。Notionが本当に普及したのは、テンプレートという概念が広まってからだ。
他のユーザーが作った美しいテンプレートをコピーするだけで、すぐに使い始められる。この「自由と型の両立」が、Notionの成功を決定づけた。
プロダクト自体が営業マン!? 完全無料戦略の狙い
Notionの成長を語る上で、フリーミアムモデルの存在は欠かせない。2020年、Notionは個人利用を完全無料化するという大胆な決定を下した。
公開されている情報によると、この戦略の狙いは明確だった。まず個人ユーザーにNotionを使い倒してもらい、その人が会社でも「Notionを使おう」と提案する。個人の熱狂がチームの導入を生み、チームの導入が全社展開につながる。
営業部隊が売り込むのではなく、プロダクト自体が営業マンになるのだ。こうして口コミのように広がったNotionは、個人の体験を通して、根強い人気と愛用者を増やしていった。
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この成長モデルが機能するためには、いくつかの前提条件がある。
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1
プロダクトの価値が自明であること ユーザーが初めて触った瞬間に「これは使える」と感じなければ、無料であっても継続利用されない。Notionはオンボーディングの設計に膨大な時間を費やした。
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2
ネットワーク効果があること 一人で使うより、チームで使うほうが価値が上がる。Notionの共同編集機能とテンプレート共有が、自然なバイラルを生む構造になっている。
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3
無料から有料への自然な移行パスがあること チーム利用で自然に有料プランの必要性が生まれる設計。「売り込まれた」感がなく、「必要だから払う」という納得感のある課金体験。
日本のスタートアップにとって、NotionのPLGモデルは極めて参考になる。特にBtoB SaaS領域では、「営業力」ではなく「プロダクト力」で成長するという発想がまだ十分に浸透していない。
しかし、SmartHRやNotaなど、プロダクト主導で成長する日本のスタートアップも着実に増えている。
起業家への示唆
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捨てる勇気が再生を生む2015年、ザオは3年かけて作ったコードをすべて捨てて京都でゼロから作り直した。「惜しい」と思う既存の積み重ねへの執着が、プロダクトの本質的な改善を阻む。節目での全面見直しは弱さではなく、成熟した判断だ。
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専門が交差するところに独自の視点が生まれるザオは認知科学と芸術を学び、エンゲルバートの哲学を読み込んだ上でプロダクトを設計した。技術だけ、デザインだけでは生まれなかった「ブロック」という構想は、領域をまたぐ知識の掛け算から来ている。
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最初のユーザーはプロダクト自身に引き連れさせるNotionは営業なしで1億人超のユーザーを獲得した。個人が使い始め、チームに持ち込み、全社展開に広がるPLG(プロダクト主導型成長)の設計は、「プロダクトが最初の営業マン」という思想を徹底した結果だ。
アイバン・ザオは今も自分のことを「デザイナー」と呼ぶ。100億ドル(約1兆5,500億円)企業のCEOが、だ。プロダクトへの愛と美意識が、1億人を超えるユーザーを生んだ。これがNotionの物語であり、「オールインワンの執念」の結末である。



