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World Startup Report - vol.29

AIが弁護士の仕事を変える。リーガルテックEvenUp $2Bへの道

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ABOUTUS編集部
World Startup Report
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人身傷害訴訟という巨大市場

公開情報によると、

アメリカでは毎年、数百万件の人身傷害訴訟が提起される。交通事故、労災、医療過誤、施設内での転倒 — 日常生活のあらゆる場面で、人々は予期せぬ怪我に遭遇する。そしてその多くが、法的な賠償請求へと発展する。

米国の人身傷害訴訟市場は年間約$500B(約75兆円)規模とされている。この巨大な市場を支えているのが、全米に約5万存在する人身傷害専門の法律事務所だ。彼らは成功報酬型で依頼を受け、被害者の代わりに保険会社と交渉する。

しかし、この市場にはある構造的な問題が存在していた。弁護士の時間の大部分が、法廷での弁論ではなく、書類作成に費やされているということだ。特に「デマンドレター」と呼ばれる賠償請求書の作成は、1件あたり数十時間を要することもある膨大な作業だった。

3人の創業者と原体験

EvenUpは2019年、3人の共同創業者によって設立された。CEO のRami Karabibar、CTO のSaam Motamedi、そしてChief Legal Officer のRaymond Mieszaniec。この3人の組み合わせが、EvenUpの成功を理解する鍵になる。

EvenUpの創業チーム
CEO
Rami Karabibar
Waymo(Google自動運転部門)出身のAIエンジニア。機械学習の専門家。テクノロジーで社会課題を解決する信念

+
CLO
Raymond Mieszaniec
現役の人身傷害弁護士。業界の非効率を熟知。自らの事故経験が創業の原点

+
CTO
Saam Motamedi
テック業界での豊富な開発経験。AIモデルの構築とスケーリングを担う

特にRaymondの存在は重要だ。彼自身が過去に交通事故の被害者となり、賠償請求のプロセスを当事者として経験している。その過程で感じた「なぜこれほどの時間がかかるのか」「なぜ同じような案件でも結果にばらつきがあるのか」という疑問が、EvenUpの原点となった。

Ramiは当時Waymoで自動運転のAI開発に携わっていた。世界最先端のAI技術に触れながら、法律業界がいかにテクノロジーから取り残されているかを知ったとき、この市場の巨大な機会に気づいた。AIエンジニア、弁護士、当事者経験者 — 三つの視点が重なったことで、EvenUpは単なるテックツールではなく、法律業界の実務を深く理解したプロダクトを作ることができた。

EvenUpが解決する課題

EvenUpのコアプロダクトは、AIを活用した「デマンドレター」の自動生成だ。デマンドレターとは、人身傷害訴訟において被害者側の弁護士が保険会社に提出する賠償請求書のことで、医療記録、事故の経緯、損害の詳細、類似判例などを包括的にまとめた法律文書である。

デマンドレター作成 — Before / After
Before
40〜60時間
弁護士が医療記録を手作業で読み込み、判例を調査し、文書を作成。1件あたり数週間を要する

After (EvenUp)
数時間
AIが医療記録を自動解析し、関連判例を抽出、ドラフトを生成。弁護士はレビューと調整に集中

EvenUpのAIは、数百万件の過去の訴訟データと医療記録を学習している。医療用語を理解し、怪我の重篤度を評価し、類似案件の賠償額を参照して、適切な請求額を算出する。弁護士はゼロから文書を書く代わりに、AIが生成したドラフトをレビューし、必要に応じて修正するだけでよい。

重要なのは、EvenUpが弁護士を「置き換える」のではなく、弁護士を「強化する」ツールだという点だ。最終的な判断は常に弁護士が行う。AIは定型的で時間のかかる作業を引き受け、弁護士が本来の価値である戦略立案と依頼者対応に集中できる環境を作る。

10x
作業効率の向上

30%+
平均賠償額の増加

5,000+
導入法律事務所数

驚くべきことに、EvenUpを導入した法律事務所では、平均賠償額が30%以上増加したという報告もある。これはAIが見落としがちな判例や医療記録の詳細を拾い上げ、より網羅的な請求書を作成できるためだ。弁護士の時間を節約するだけでなく、依頼者により良い結果をもたらしている。

24ヶ月で4倍の評価額

EvenUpの資金調達の軌跡は、AI x リーガルテックへの市場の期待を如実に反映している。

  • 1
    2019年 — 創業Rami、Raymond、Saamの3人がサンフランシスコで設立。人身傷害訴訟に特化したAIプラットフォームの開発を開始。
  • 2
    2021年 — Series A初期プロダクトの市場適合を確認。法律事務所からの強い引き合いが成長を後押し。
  • 3
    2023年 — Series C($50.5M)評価額$500M。導入事務所数が急増し、ネットワーク効果が顕在化し始める。
  • 4
    2024年 — Series D($135M)評価額が急上昇。プロダクトラインの拡張とデータ蓄積が加速。
  • 5
    2025年 — Series E($150M)評価額$2B。わずか24ヶ月で評価額が4倍に。リーガルテック史上最大級の調達。

24ヶ月で評価額が4倍 — この急成長の背景には、いくつかの構造的な要因がある。まず、EvenUpのビジネスモデルがSaaSの王道である「使えば使うほどデータが蓄積され、プロダクトが改善される」フライホイールを持っていること。導入事務所が増えるほどデータが増え、AIの精度が向上し、さらに多くの事務所が導入する。

次に、生成AIの進化がEvenUpに強烈な追い風となったこと。GPT-4をはじめとするLLMの発展は、法律文書の生成品質を飛躍的に向上させた。EvenUpは独自のファインチューニングとドメイン特化のデータパイプラインを構築しており、汎用AIでは到達できない精度を実現している。

リーガルテックの未来

EvenUpの成功は、リーガルテック業界全体に大きな影響を与えている。従来、法律業界はテクノロジーの導入が最も遅い業界の一つとされてきた。契約書のレビューすら手作業で行われ、判例の検索も非効率なままだった。

しかし、生成AIの登場がこの状況を根本的に変えようとしている。EvenUpが人身傷害訴訟で証明したモデルは、契約書レビュー、知的財産訴訟、M&Aデューデリジェンスなど、法律のあらゆる領域に適用可能だ。

EvenUpの拡張可能性
現在
人身傷害訴訟のデマンドレター生成に特化。5,000+の法律事務所が導入。

拡張フェーズ1
訴訟戦略の提案、和解交渉のシミュレーション、証拠の自動整理など、訴訟プロセス全体をカバー。

拡張フェーズ2
人身傷害以外の訴訟領域(労働訴訟、医療訴訟、保険訴訟)へ横展開。

日本の法律市場も例外ではない。日本には約4万4,000人の弁護士がおり、その多くが定型的な書類作成に膨大な時間を費やしている。交通事故の損害賠償請求、離婚調停の書類作成、債務整理の申立書 — 日本の法律業務にも、AIによる効率化の余地は計り知れない

日本のスタートアップが学べること

EvenUpの物語から、日本のスタートアップが学べる教訓は明確だ。

  • 1
    「規制産業 x AI」は最大の機会法律、医療、金融 — 規制が厳しく、テクノロジー導入が遅れている産業こそ、AIによる効率化の余地が最も大きい。日本の士業(弁護士、税理士、司法書士、社会保険労務士)は合計30万人以上。この市場をAIで変革するスタートアップは、まだ十分に存在していない。
  • 2
    「ドメインエキスパート x テクノロジスト」のチーム設計EvenUpの強さは、Waymo出身のAIエンジニアと現役弁護士がチームにいることだ。テクノロジーだけでは不十分で、業界の深い知識がなければ、本当に使われるプロダクトは作れない。日本でも、業界経験者とエンジニアの共同創業が成功の鍵になる。
  • 3
    「置き換え」ではなく「強化」のポジショニングEvenUpは「弁護士を不要にする」とは決して言わない。「弁護士をより強くする」と言う。規制産業でAIを導入する際、この姿勢は極めて重要だ。既存のプロフェッショナルを敵に回さず、味方にする。この戦略は日本の保守的な市場では特に有効だ。

日本の法律業界は、まさにEvenUpが米国で発見したのと同じ構造的課題を抱えている。弁護士の業務時間の多くが書類作成に消え、依頼者と向き合う時間が限られている。交通事故の損害賠償、相続手続き、労働紛争 — 定型的な法律文書の作成は、AIが最も得意とする領域だ。

$2Bの評価額。24ヶ月で4倍の成長。EvenUpが証明したのは、「退屈な書類作成」を解決することが、数十億ドルのビジネスになり得るという事実だ。そしてその本質は、テクノロジーの力で「専門家の時間を本来の仕事に戻す」ことにある。この哲学は、日本のあらゆる士業に適用可能だ。

専門家の時間を、
本来の仕事に戻す。
それがAIの使命だ。

EvenUpは弁護士を置き換えるのではなく、強化する。AIエンジニアと弁護士が手を組んだとき、法律の世界は変わり始めた。

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