科学オリンピックで出会った3人
George Cheng、Dylan Nguyen、Natnael Kahssay。3人の共通点は、全員19歳、全員MITに入学し、そして全員MITを中退したことだ。
出会いは国際科学オリンピック。世界中から集まった10代の天才たちが競い合う場で、この3人は意気投合した。数学やコンピュータサイエンスの問題を一緒に解く中で、「本当に難しい問題を解くのが好きだ」という共通の情熱を確認し合った。
MITに進学した3人は、大学の授業よりもはるかにエキサイティングなことに気づいてしまう。それは「現実世界の問題を、自分たちの手で解決する」ということだった。2024年、3人はMITを中退し、Y Combinatorのウィンター2025バッチに参加。Code Fourを立ち上げた。
なぜ警察なのか? きっかけはChengの叔父だった。ロサンゼルス市警の現役警察官である叔父が、ある日こうぼやいたのだ。「パトロールから帰ってきてから、報告書を書くのに2時間かかる。現場にいた時間より長い」。この一言が、Code Fourの出発点になった。
警察官のシフトの1/3は書類作業
アメリカの警察官が直面している現実は、多くの人が想像するものとはかなり異なる。テレビドラマに出てくるような派手な捜査や追跡劇ではなく、シフトの約3分の1を書類作業に費やしているのが実態だ。
書類作業の割合
報告書作成時間
警察官数
交通事故の対応、万引きの処理、家庭内トラブルの仲裁 — 現場での対応が終わった後、警察官は署に戻り、何が起きたかを詳細に記録しなければならない。日時、場所、関係者の氏名、事案の経緯、証拠の所在、そして法的に必要な定型文。一つひとつを手動で入力する。
しかも、この報告書は法的文書だ。裁判で証拠として使われることもある。正確性が極めて重要であり、同時に書式の決まりも厳格。ミスがあれば裁判で問題になるし、記載漏れがあれば捜査に支障をきたす。
この状況は、アメリカの治安にも直結している。警察官がデスクワークに追われる時間が増えるほど、街頭パトロールの時間は減る。書類作業が間接的に犯罪抑止力を弱めているという皮肉な構造だ。Code Fourの3人は、ここにテクノロジーで切り込めると確信した。
ボディカメラ映像からレポートを自動生成
Code Fourのプロダクトは、驚くほどシンプルなコンセプトだ。警察官のボディカメラ映像をAIが解析し、報告書を自動生成する。
アメリカの多くの警察署では、ボディカメラ(Body-Worn Camera)の装着が義務化されている。つまり、現場で何が起きたかの「生データ」はすでに存在しているのだ。問題は、その映像を文字に変換し、法的に有効な報告書のフォーマットに落とし込む作業が、すべて手動だったことにある。
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映像の自動文字起こしボディカメラの音声をAIがリアルタイムで文字起こし。複数の話者を自動識別し、誰が何を言ったかを正確に記録。
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個人情報の自動マスキング関係者の顔、ナンバープレート、住所などの個人情報をAIが自動検出しマスク処理。プライバシー保護をシステムレベルで担保。
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報告書フォーマットへの自動変換各署独自のテンプレートに準拠した報告書を自動生成。日時、場所、関係者情報、事案概要を構造化して出力。
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警察官によるレビューと承認最終的なチェックは必ず人間が行う。AIの出力を確認し、必要に応じて修正・承認するワークフロー。
公開情報によると、特に注目すべきは、個人情報の自動マスキング機能だ。ボディカメラの映像には、犯罪被害者や目撃者の顔、通行人、住居の内部など、極めてセンシティブな情報が含まれる。従来は映像編集の専門スタッフが一つひとつ手動でマスクをかけていた。Code Fourはこのプロセスもすべて自動化し、映像公開リクエストへの対応時間を90%以上短縮した。
$2.7M Seedと25の警察署
Code Fourは2025年初頭、AME Cloud Venturesをリードインベスターとして$2.7MのSeedラウンドを完了した。AME Cloud Venturesは、Yahoo!共同創業者のJerry Yangが率いるファンドだ。
Jerry Yangがこの投資を決めた理由は明快だ。「政府機関向けのAIは、最も社会的インパクトが大きく、かつ最も参入障壁が高い。Code Fourのチームは19歳にして、その壁を越えるだけの技術力と実行力を持っている」。YC W25バッチの中でも、Code Fourは特に注目を集めるチームの一つだった。
料金体系は$30/officer/月。警察署にとっては極めてリーズナブルだ。一人の警察官の年収が5万〜7万ドルであることを考えると、月額30ドルで書類作業時間を大幅に削減できるなら、ROIは圧倒的だ。
すでに25の警察署で導入が進んでおり、導入署ではパトロール時間が平均35%増加したという。報告書の品質も向上している。人間が疲労で書き間違えるようなミスをAIは犯さないし、定型的な法的文言の記載漏れも起きない。
バーティカルAIの教科書
Code Fourは、いわゆる「バーティカルAI」の教科書的な事例だ。バーティカルAIとは、特定の業界・業種に特化したAIソリューションを指す。ChatGPTのような汎用AIとは対照的に、狭い領域を深く掘り下げることで、汎用AIには出せない精度と価値を実現する。
Code Fourが興味深いのは、参入障壁の高さそのものを競争優位に変えている点だ。政府機関との契約プロセスは複雑で時間がかかる。しかし一度契約が成立すれば、スイッチングコストは極めて高い。警察署が導入したシステムを簡単に変更することはない。セキュリティ審査をゼロからやり直す必要があるからだ。
さらに、25の警察署で蓄積されたデータとフィードバックは、プロダクトの精度を日々向上させる。後発の競合がゼロからこのデータアドバンテージを追いかけるのは、事実上不可能だ。「先に入った者が勝つ」というネットワーク効果が、バーティカルAIの世界では特に強く働く。
日本の公的機関への示唆
Code Fourの物語は、日本にとって極めて示唆に富んでいる。なぜなら、日本の公的機関は世界でもトップクラスの「ペーパーワーク大国」だからだ。
日本の警察官も、膨大な書類作業に追われている。交通事故の実況見分調書、被害届、供述調書 — すべてが紙ベースまたは旧式のシステムで処理されている。そして警察だけではない。消防、自治体窓口、税務署、入管 — 日本の公的機関全体が、ペーパーワークの海に沈んでいる。
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警察の書類作業自動化ボディカメラの普及は日本でも始まっている。映像からの報告書自動生成は、日本語対応できれば巨大な需要がある。
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消防・救急のレポーティング出動報告、搬送記録、現場写真の管理 — Code Fourのモデルは消防・救急にもそのまま応用可能。
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自治体窓口の効率化住民対応の録音・記録から申請書類を自動生成する仕組みは、デジタル庁が推進するDXの方向性と完全に合致する。
日本の公的機関向けAIスタートアップは、まだ黎明期だ。GovTech(ガブテック)と呼ばれるこの領域は、市場規模は巨大だが参入障壁も高い。政府調達の複雑さ、セキュリティ要件の厳しさ、意思決定の遅さ — これらはすべて、裏を返せば「一度入り込めば簡単には追い出されない」ことを意味する。
19歳のMIT中退組がアメリカの警察を変えようとしている。日本でも、公的機関のペーパーワークをAIで自動化するという同じビジョンを持つスタートアップが現れる余地は、十分にある。いや、むしろ待ち望まれている。
Code Fourが証明しつつあるのは、AIの真の価値は「派手な新機能」ではなく、「すでに存在する退屈な作業を消し去ること」にあるということだ。警察官が書類から解放され、1分でも長く街を守れるなら — それこそがテクノロジーの最も美しい使い方ではないだろうか。
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